戦前における最大の客船は <客船・旅行・雑誌>
1940年に建造されたクイーン・エリザベス号の8万3673総トンであった。
戦後、60年代になってフランス号(6万6348総トン)およびクイーン・エリザベス2世号(6万7140総トン)が建造された。
それぞれ当時の新鋭客船として注目を集めたが、大きさの点では戦前のクイーン・エリザベス号の記録を破る船は現れなかった。
戦後の航空機の発達は目覚ましく、船旅と比べて桁(けた)違いの時間短縮は旅客を船から飛行機へといざなっていった。
その後、政治、経済、そしてレジャーの面でも国際間の旅行が急増するに及んで、華やかであった豪華客船の時代は終わった。
貨物船では石油タンカーの大型化がとくに目覚ましい。
1863年に最初のタンカーが出現したが、これは鉄製の石油タンクを船内に据え付けたものでタンク船といわれた。
1886年には、船体外板を油タンクの外周とする現在と同じ構造様式のタンカーとなり、またこれが専用貨物船の始まりでもあった。
第二次大戦前のタンカーは1万5000重量トン(1万総トン)が標準であったが、戦後世界の産業経済が軌道にのるにつれてしだいに大型化してきた。
タンカーは速力をほぼ一定に抑えたまま大型化することにより海上輸送コストを下げることができる典型例である。
戦後10年足らずの1955年にはアメリカのシンクレア・ペトロ・ロア号(5万5000重量トン)が5万重量トンを超え、59年にアメリカのユニバース・アポロ号(10万3000重量トン)が10万重量トンを超えたころから大型化が加速され始めた。
続いて62年(昭和37)には13万重量トンの日章丸、66年には15万重量トンの東京丸および20万重量トンを超えた出光(いでみつ)丸が建造された。
その後68年には33万重量トンのユニバース・アイルランド号(リベリア)、73年と75年には48万重量トンのグロブチク・トウキョウ号(イギリス)と日精丸が次々に記録を更新し、翌76年には55万重量トンのバチラス号(フランス)が現れた。
記録を更新した各船は最後のバチラス号を除いてすべて日本で建造されていることは注目に値する。
また、その期間は日本の造船量が世界のほぼ半分を占め続けた時期と重なっている。
しかし、1970年代の二度にわたる原油価格引上げによってタンカーの大型化は終止符を打ち、さらに世界の海運、造船は長い低迷の時期に入った。
戦後、60年代になってフランス号(6万6348総トン)およびクイーン・エリザベス2世号(6万7140総トン)が建造された。
それぞれ当時の新鋭客船として注目を集めたが、大きさの点では戦前のクイーン・エリザベス号の記録を破る船は現れなかった。
戦後の航空機の発達は目覚ましく、船旅と比べて桁(けた)違いの時間短縮は旅客を船から飛行機へといざなっていった。
その後、政治、経済、そしてレジャーの面でも国際間の旅行が急増するに及んで、華やかであった豪華客船の時代は終わった。
貨物船では石油タンカーの大型化がとくに目覚ましい。
1863年に最初のタンカーが出現したが、これは鉄製の石油タンクを船内に据え付けたものでタンク船といわれた。
1886年には、船体外板を油タンクの外周とする現在と同じ構造様式のタンカーとなり、またこれが専用貨物船の始まりでもあった。
第二次大戦前のタンカーは1万5000重量トン(1万総トン)が標準であったが、戦後世界の産業経済が軌道にのるにつれてしだいに大型化してきた。
タンカーは速力をほぼ一定に抑えたまま大型化することにより海上輸送コストを下げることができる典型例である。
戦後10年足らずの1955年にはアメリカのシンクレア・ペトロ・ロア号(5万5000重量トン)が5万重量トンを超え、59年にアメリカのユニバース・アポロ号(10万3000重量トン)が10万重量トンを超えたころから大型化が加速され始めた。
続いて62年(昭和37)には13万重量トンの日章丸、66年には15万重量トンの東京丸および20万重量トンを超えた出光(いでみつ)丸が建造された。
その後68年には33万重量トンのユニバース・アイルランド号(リベリア)、73年と75年には48万重量トンのグロブチク・トウキョウ号(イギリス)と日精丸が次々に記録を更新し、翌76年には55万重量トンのバチラス号(フランス)が現れた。
記録を更新した各船は最後のバチラス号を除いてすべて日本で建造されていることは注目に値する。
また、その期間は日本の造船量が世界のほぼ半分を占め続けた時期と重なっている。
しかし、1970年代の二度にわたる原油価格引上げによってタンカーの大型化は終止符を打ち、さらに世界の海運、造船は長い低迷の時期に入った。
update:2009年12月10日
