フランク王国は {歴史・部族・生活}
古ゲルマン人のうち、西ゲルマン系のフランクFrank人の建てた王国。
部族国家から発展し、しだいに他のゲルマン諸部族を征服・統合し、ピレネー山脈からエルベ川に至る西ヨーロッパの大部分を含む大帝国となり、民族大移動後の混乱を収拾して、ヨーロッパの政治的・文化的統一を実現した。
フランク王国は、西ヨーロッパ最初のキリスト教的ゲルマン統一国家として、キリスト教文化および中世の諸制度の母体となるとともに、ドイツ、フランス、イタリアなどの諸国家が、その分裂・崩壊の過程のなかで誕生した。
フランクという名称が史料に最初に現れるのは3世紀中ごろで、フランクは、おそらくカマビー、ブルクテール、カッティーなど、ライン川中・下流東岸の諸部族を中核とし、多くの小部族の混成によってできあがったと考えられる。
4世紀初頭以来、サリ支族、リブアリ支族、上フランク支族の三大グループが形成されたが、そのうちサリ支族は、5世紀初頭西進して、シェルデ川流域にまで広がった。
そのころパーグスの小王として台頭してきたのがメロビング家である。
この家から出たクロービス王は、サリ支族を統一し、さらにリブアリ、上フランク両支族を併合して、5世紀末にフランク王国を樹立した。
クロービスの統一によって成立したメロビング朝フランク王国は、その後他のゲルマン系諸部族を次々と征服、統合して発展したが、7世紀後半、王国の実権は、宮宰職を務めるカロリング家によって握られ、751年同家のピピンはカロリング朝を開始する。
その子カール大帝の治下に王国は最盛期を迎えるが、843年その広大な版図は3人の孫たちの間に分割され、事実上三王国に分裂するに至る。
部族国家から発展し、しだいに他のゲルマン諸部族を征服・統合し、ピレネー山脈からエルベ川に至る西ヨーロッパの大部分を含む大帝国となり、民族大移動後の混乱を収拾して、ヨーロッパの政治的・文化的統一を実現した。
フランク王国は、西ヨーロッパ最初のキリスト教的ゲルマン統一国家として、キリスト教文化および中世の諸制度の母体となるとともに、ドイツ、フランス、イタリアなどの諸国家が、その分裂・崩壊の過程のなかで誕生した。
フランクという名称が史料に最初に現れるのは3世紀中ごろで、フランクは、おそらくカマビー、ブルクテール、カッティーなど、ライン川中・下流東岸の諸部族を中核とし、多くの小部族の混成によってできあがったと考えられる。
4世紀初頭以来、サリ支族、リブアリ支族、上フランク支族の三大グループが形成されたが、そのうちサリ支族は、5世紀初頭西進して、シェルデ川流域にまで広がった。
そのころパーグスの小王として台頭してきたのがメロビング家である。
この家から出たクロービス王は、サリ支族を統一し、さらにリブアリ、上フランク両支族を併合して、5世紀末にフランク王国を樹立した。
クロービスの統一によって成立したメロビング朝フランク王国は、その後他のゲルマン系諸部族を次々と征服、統合して発展したが、7世紀後半、王国の実権は、宮宰職を務めるカロリング家によって握られ、751年同家のピピンはカロリング朝を開始する。
その子カール大帝の治下に王国は最盛期を迎えるが、843年その広大な版図は3人の孫たちの間に分割され、事実上三王国に分裂するに至る。
update:2010年03月14日
